「荀子」と「マザー・テレサ」

令和7年1月15日(水)
哲治さん安心チケットblog N04
今号N04では、「荀子」と「マザー・テレサ」を例にして、生きる
目的等を考えました。筆者の主観も混入していますが、このブログ
の基本となっている考えです。また、“そーか、そういうことか”と
いう共鳴はストレス解消ともなります。
1 「荀子」の教え

荀子は今から2300年以上も前(紀元前298~238年)の中国戦国時代末の
思想家・儒学者です。「史記(中国前漢の武帝の時代に司馬遷-中国前漢
時代の歴史家-によって編纂された歴史書)」によると50歳で初めて斉(
中国の王朝名、国名、地名)に遊学し、斉の襄王(東アジア世界における
諡号-死者に対し、その生存中の行いによってつけるよび名-)に仕え、
太夫(古代中国における身分称の一つ。「列大夫」とも)の長官に三度、
任ぜられました。・・。正しい礼を身につけることを徹底した「性悪説」
で知られる。
―ウィキペディア(Wikipedia)―
荀子は孟子と並び儒家(中国の春秋時代末期に孔子が説いた思想を基盤と
する学派。「仁」と「礼」を重視し、秩序正しい社会を作ろうとした)の始祖
である孔子の弟子の双璧とされていて、前者の荀子が「性悪説」であり、後者
は「性善説」と言われます。しかし荀子の生き方を見ますと、悪を退治し、
人間としての向上心・創造心の発揮に注力した、生き生きとした人物であった
と感じます。
―荀子が教える「学問の目的」―
“夫れ学は通の為に非ざるなり。窮して苦しまず、憂えて意
衰えざるが為なり。禍福終始を知って惑わざるが為なり。
自ら靖んじ、自ら献ずるためである。„
心地よい驚きです。もう2300年以上も前に,今でもマスコミ等
でさえ、よく説明されることがない、わからないようなことが、
すでに解明されています。私たちの歴史が逆戻りしていること
になります。真摯に学びたいです。
-哲治さんの解釈-

『学問というのは単に知識を増やしたり、物知りになる
ために行うものではありまん。そうではなかった。実際
の生活でも、いろんな場面で、追い詰めれることがあり
ますが、あっても、苦しみはしません。それを解決する
のが学問と知ります。前向きに打開策を考え、手を打つ
ために学問をします。能天気では困りますので、心配は
しますが、気がめいって、うろたえたり、委縮したり
せずに,物事の因果関係をキチンと学び、適切な対応策を
打っていきます。そうです。今を生きていく上で必須と
なるものを学ぶのが学問というものでした。』
多少違っているかは分かりませんが、自分の生活に
照らしてあえて筆者の解釈を示しました。というの
は、なかなか、自らの言葉で平易に解説している文
献に出会わないためです。
「安心で終わり」ではなかった
後半の文も重要です。前段で先ず、自分自身が実生活で
心穏やかな安心の境地をつかみます。しかしそれだけ
では終わらないです。そのような安心を得られた後で
あるからこそ、世のため人のために尽くすことができる
のであり、これこそが学問の最終目的と考えられます。
後掲の「マザー・テレサ」で学びます。
安心・喜びの先にある“世のため、ひとのため”

このブログの目的は『安心・喜び』ですが、まだ先があった
ということです。深いです。
筆者はこの文に大いに啓発されました。今の日本はどうで
しょうか。知識偏重の傾向が強く物知りが幅を利かせて
いる社会といっても少しも言い過ぎではありません。徳育
がなおざりにされているわけです。物知りは、その人の
日常生活を語ることはありません。従って、どんな人柄の
人物かもわかりません。日本のリーダーグループで人徳
(明るいこと+浄・不浄‐「汚いことはしない」ということ‐
出所:安岡正篤師「一日一言」、致知出版社)が必須になる
ようなことはほとんどありません。
能力よりキャラクター

よく考えますと、“能力よりキャラクターである”ということ
は誰でも“あー、そうかもしれない”と感じるでしょう。
尊敬できる人物にあふれる日本
松下幸之助師のような人物が輩出され、より良い日本と
なっていただきたいです。“敬う” という言葉も普通に使
われている社会でありたいです。生産性まで向上する
ことが期待できます。
自分はどうか

もう50年以上前、東松山市に住んでいた筆者の叔母が私に
こう言いました。“哲っちゃんは辻でやる商売が向いている
のよね”と。当時は軽く聞き流しました。いいえ、本当の意味
がよくわりませんでした、聞き直す器量さえなかったです。
今考えると『辻説法』も辻でやる商売です。ブログで多くの
人にではなくても少しの人にでも共鳴していただける記事を
書こう、天職を実践して見ようと思い立ちました。不思議と
嬉しい気持ちが湧いてきました。
2 愛と人のために

ここで一言:筆者はコメントできるような体験を持ち合わせ
ていません。こんな世界があったのかと、本文
から学ぶのみです。涙が流れます。
マザー・テレサ

1910~1997(享年87歳)、インド、
出生地:北マケドニア共和国スコビエ
職業:修道会「神の愛の宣教者会」創立者
名言:“平和は微笑みから始まります”
<人生の歩み>
もっとも貧しい人の間で
テレサは1947年までカルカッタ(現在のコルカタ)の

聖マリア学院で地理と歴史を教えました。34歳の
ときには校長に任命されましたが、上流階級の子女の
教育にあたりながらも、テレサの目にはいつもカルカ
ッタの貧しい人々の姿が映っていました。1946年9月、
36歳のテレサは休暇のためダージリンに向かう汽車に
乗っていた際に「すべてを捨て、もっとも貧しい人の
間で働くように」という啓示*を受けたといいます。
街頭での無料授業
1948年、ローマ教皇ピウス12世からの修道院外居住の特別許可
が得られ、テレサは修道院を出て、カルカッタのスラム街の中
へ入っていきます。テレサは学校に行けないホームレスの子ども
たちを集めて街頭での無料授業を行うようになり、やがて教会や
地域の名士たちからの寄付が寄せられるようになったのです。
1950年、テレサは40歳のときに「神の愛の宣教者会」を設立。
同会の目的は「飢えた人、裸の人、家のない人、体の不自由な
人、病気の人、必要とされることのないすべての人、愛されて
いない人、誰からも世話されない人のために働く」ことでした。
テレサは修道会のリーダーとして「マザー」と呼ばれるように
なります。
ノーベル平和賞を受賞

インド政府の協力でヒンズー教の廃寺院を譲り
受けたテレサは「死を待つ人々の家」という
ホスピスを開設。以降、ホスピスや児童養護施設
を開設していくのです。1969年、アメリカ人が撮
ったドキュメンタリー映画『すばらしいことを神
さまのために』や同名の書籍によって、テレサの
活動は全世界で知られるようになります。その活
動は高く評価され、多くの賞がテレサに与えられ、
1979年にはノーベル平和賞を受賞しました。
1997年9月5日、マザー・テレサはカルカッタにて
87年の生涯を閉じます。宗派を問わずにすべての
貧しい人のために働いたテレサの葬儀はインド政
府によって国葬として荘厳に行われました。
2016年9月4日、ローマ教皇フランシスコはテレサ
を列聖(代代の天子)し、聖人であると宣言した
のでした。
大きな愛情をもって小さなことを
マザー・テレサは「神様は私たちに成功してほしい
なんて思っていません。ただ、挑戦することを望ん
でいるだけよ」、「愛とは、大きな愛情をもって小
さなことをすることです」など多くの言葉を残しま
した。次のような教えもあります。
<マザー・テレサの名言>
・人はしばしば不合理で、非論理的で、自己中心的です。
それでも許しなさい。
・人にやさしくすると、人はあなたに何か隠された動機

があるはずだ、と非難するかもしれません。
それでも人にやさしくしなさい。
・成功をすると、不実な友と、本当の敵を得てしまう
ことでしょう。それでも成功しなさい。
・正直で誠実であれば、人はあなたをだますかもしれま
せん。それでも正直に誠実でいなさい。
・歳月を費やして作り上げたものが、一晩で壊されてしま
うことになるかもしれません。それでも作り続けなさい。
・心を穏やかにし幸福を見つけると、妬まれるかもしれま
せん。それでも幸福でいなさい。
・今日善い行いをしても、次の日には忘れられるでしょう。
それでも善い行いを続けなさい。
・持っている一番いいものを分け与えても、決して十分で
はないでしょう。それでも一番いいものを分け与えなさい。
* 啓示:(神が人に)人間の力では知りえないような事をさとし示すこと。
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