ストレス解消 その2

死期(しき)」と「()(うん)尊者(そんじゃ)

                             令和7年1月22日(水)

Ⅰ 死期のストレス・不安を解消する

                                           

1 このブログでの効果を今晩から期待できます。 

 “ぐっすり”は喜びの
    出発点

       

  はじめに結論を書きました。読む人が安心して
読めるようにするためです。実際、薬ではなく安心
によって安眠することが期待できます。

2 死期のストレス・不安    

  夜来る不安には
  夕方から準備

                

人には死期があります。これは自分で決めること
ができません。仕事で結果を決めることができない
ことと同じです。しかし、人はこの死期を詮索せんさくし、
不安にられます。そして毎日、自分を苦しめて
しまいます。

歳をとりますと、いつ死ぬのかと不安になります。
死 んだらどうなるか、などと考えてしまします。
特に高 齢となり、死期が近くなると、不安になる
な、という方が無理かもしれません。筆者自身も
今は克服していますが、不安になった日が多かっ
たです。

 

3 散歩していて気がつく

 散歩も習慣に
 します

          筆者は毎朝、散歩しています。途中で体操も
          するので、 計50分位かかります。もう10数      
           年、続いています。ある 朝、いつものように
          散歩しているときに、ハッと気がつきました。

  

“そーか、死期は自分で決めることが
できないのか、自分の統制下にはないんだ。天が決める
のか”と。常識的にも死期は自分で決めることができない
ことは自明です。                                                                                                                       改めて、こう感じました。“そうだったのか、つまり、
死期は自分の責任ではなかったのか”と。   

ハッと気がつくことも
大切

                                                                        また、“生きる目的でもなく、自分の                                        使命でもない” と。生きる目的、自分の使命は“自分の                       目の前のことに最善を尽くす、ことだったのか”と。                           簡単なようなことですが、この頭の切り替えができま 
せんでした。  

                   

4  懸命に命を運ぶ     

   目の前のことに
   最善を尽くす

「宿命」として拝受した命が自分に宿り、ある時、この
地上を去るその地点まで、その命を懸命に運ぶ(運命)
ことが人生の目的であり、人間が生きる目的であると
気づきました。人間に本来、備わっている『向上心』と
『創造心』というありがたい真理(出所:谷口雅春まさはる
生長の家開祖-著作集、第10巻「人生は心で支配せよ」
日本教文社)を自覚し、それを懸命に発揮して、生き抜
くことが生きる目的であった。それ以外に人生の目的は
ない。なかった、と。

5 すでに明らかであった

   「心理学入門(坂口典弘・相馬花恵編著、講談社)
 P225に次のような記述があります。

「入門書」とありますが、内容は広く
筆者にはやさしくはありませんでした

   『・・・。認知行動療法(注1)では周囲からの刺激や
   出来事によって直接ひき起こされるのではなく、その刺激
   や出来事をどのように“認知”したかによって人の感情や行
   動が生じると考えます。                        

   *注1 認知行動療法:臨床りんしょう心理学*注2における認知理論
     を確立したA・T・ペックは、心理的な不調をひき起こす
     背景には、ある考えのくせ(認知のゆがみ)があると提唱
     しました。こうした考えの癖に働きかけ、適応的なもの
     へと修正していくことを目的とする療法。

    *注2 臨床(りんしょう)心理学:心理的な問題を抱える人(クライエント)
      に対する心理学的援助を、理論的・実施的に研究する学問。

    この考えを、A・エリス*(注3)は次のABC図式として
    まとめました。この図式によると、出来事(A)に対する
    受けとり方(B)を変えることで、その後の感情や行動
   (C)を変えることが可能となります。そこで認知行動療法
    では、不快な結果に結びつく不合理なものの見方を、合理
    的なものに変容させることを第一の目的とします。・・・。  

      同じ出来事でも受け止め方によって行動も結果も変わります。
      このブログのN02で紹介した「クリーニング屋の話」と同じです

  

    筆者は自分だけの気づきであると思っていましたが、心理学の
    世界では、すでに同じようなことが40年も前に明らかになっ
    ていました。

    *(注3)アルバート・エリス:アメリカの臨床心理学者(1913
        ~2007)

       ・論理療法の創始者として知られる。・・、認知行動療法
        と呼ばれている分野の基礎を築いた。
       ・アメリカの1982年の臨床心理学者への世論調査では、
        その分野に大きな影響のある人物としてフロイトを抜い
        て2位に選ばれ、1位に(来談者中心療法の)カール・ロ
        ジャース、3位にジークムント・フロイトが挙げられた。
        また、1957年以降、論文への引用頻度でも一位を続けて
        いた。‐出典:Wikipedia‐

           

6 安眠には“言い聞かせ(善玉のおまじない)”が有効

        簡単なことですが、心のどん底からの“言い聞かせ(善玉
        のおまじない)”が有効です。夕方など、上記不安が生じ
        たときには『結果は天、自分の責任ではなかった』、ある
        いは『自分の責任は目の前のことに最善を尽くすのみ』と
        黙唱します。何日か続けることで筆者は上記不安を解消し
        ました。なお、『言い聞かせ』とは『おまじない』の背景
        となっている考え方のことです。“そーだよな”と共鳴する
        ことが効果を大きくします。

Ⅱ 慈雲尊者

 

1 慈雲尊者の話 

 慈雲尊者:生き方だけでなく、
    終わり方もお手本でした

                                                     

慈雲は江戸時代後期の真言宗の名僧(1718~1804)。
慈雲尊者と尊称されました。

 「・・。大和(やまと)葛城(かつらぎ)の人だが、亡くなるまで講義をして
 おられた。行燈(あんどん)をつけて(きょう)を講じてられて、その中に、
 いわゆる生命の火が消えかかってきて本が見えなくなっ
 てきた。生命の灯が消えかかっていることを和尚(おしょう)ご自身
 はまだご存じない。

 それで侍者じしゃを呼ばれて、”油させ”と言われた。小僧は行ってとにかく油を足した。しばらくしたらまた、“暗い、 油させ”と、もうご本人は目が見えない。生命の火がまさに 消えかかっているのだから・・・・。“はて、さっき注いだ ばかりだが・・・”と小僧が見ると、まだいっぱいある。 それで“和尚さま、油はまだいっぱいでございます”と言ったら、 “ああ、そうか”と言われて“禅家ぜんけ (“禅宗・禅寺・禅僧”の意の漢語的表現)では坐脱立亡ざだつりつぼうすわったままで亡くなったり、立ったまま死ぬこと)とやらをやられるそうじゃが、わしがのは横になるじゃ”とお釈迦しゃかさまのように横になってそのまま亡くなられたという。」                      

    ―出所:「知命と立命」P141― 

 昨日までどころか、たった今まで狩りに飛んでいました。
 生きていく人のお手本でもありますが、亡くなっていく人
 のお手本とも言えます。“そうか、『寸前まで懸命に生きて
 行けば善い』のか、と実感し、何か、すーッと楽になり、
 清々しい気持ちとなりました。

           

2 坂村(さかむら)(しん)(みん)氏の話

  慈雲尊者の生きざまに似た詩文があります。
  仏教詩人であった坂村真民(1909~2006 熊本県生ま
  れ)氏は次のように言い聞かせています。

  “鳥は飛ばねばならぬ 人は生きねばならぬ”続けて、
怒涛どとうの海を飛びゆく鳥の ように混沌こんとんの世を生きね ば
ならぬ”と。また「偉人たちの人間学」で“最高の人と
いう のはこの世の生を精いっぱい力いっぱい 命いっぱい
生きた人″

  坂村(さかむら)(しん)(みん)(1909~2006)

    坂村真民
鳥の事例に共鳴しました

  日本の仏教詩人。本名たかし。熊本県荒尾市生まれ。森信三の教示を受けて、自らの詩をつづった月刊詩誌「詩国」を創刊。1967年、新田高等学校に国語教師として着任。一遍いっぺん(鎌倉時代の僧侶(いや)しの詩人」と言われた。

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