
哲治さん安心チケットblog N03
<お知らせ1> 1月4日にグーグル検索窓で調べたところ、上記ブログは次の入力で表示
されることが、わかました。第1号が昨年12月25日に公開されていますので、
ぜひ2号と合わせて、お目通しください。今回は3号です。
1 https://yorokobi.blog *これはこのブログの「サイトURL」です。
2 哲治さん安心チケットblog *これはこのブログの「ブログ名」です。
3 哲治さん安心 *これは上記2の省略形ですが、検索可。
4 哲治さんblog *同上
*実際の検索は3か4が早いです。
ブログを開始してまだ10日あまりですが、グーグルで

検索できたことはうれしかったです。特に初めからの履歴も
分かり、読む人にとっても便利でしょう。この先は「安心」
や「哲治さん」や「喜び」等のでキーワードで検索出来れば
もっと便利になると感じました。
<お知らせ2> 幾日か前に本を買って読みました。このブログと
関係がありそうだと感じたからです。その本は
「健康な生き方の科学」Life is wellness 石村友見著 サンマーク出版です。
著者累計125万部にひかれました。その本のP39には次のような記述が
あります。
『 ヘルスとは何が違うのか

・・。ウェルネスが意味するのは、「よりよく生きようとする
生活態度」で単に体の健康を指すのではなく、体も心も元気に
なって、生き生きとした「自分が望む人生」を歩むことに重き
を置く前向きな言葉だ。最初に提唱したハルバート・ダン医師
は「本人が病気であるかどうかに注目せず、健康を手段とし、
生き生きと輝く人生を目指す志向こそがウェルネスだ、として
いる。・・。・・・・・・・。 』
読んでみて大いに参考になりました。機会がありましたら、
ぜひご一読ください。このブログがよりよく理解できますし、
夜、よく眠れます。
その3 マッカーサーとサミュエル・ウルマン

読みどころ: 若い時は何とも思いませんでしたが、歳を取り
ますと、いかに若さを保つか、が人生を生き生きと生きて
いくうえで重要と感じます。このため、若い気持ちを持ち
続ける勇気を与える詩文に、とても共鳴します。
今から70年以上前の1945年8月30日、連合国
軍最高司令官のダグラス・マッカーサー元帥が厚木

飛行場に降り立った。昭和天皇が日本の敗戦を告げた玉音放送から15日後のことだった。戦後日本に絶対権力者として君臨し、民主化を進める諸政策を断行したマッカーサー、飛行機のタラップに現れたマッカーサーの姿は日本人に鮮烈な印象を与えるものだった。
上着はつけず、カーキ色の軍服の一番上のボタンを外し、
右手にはコーンパイプ、目には黒いサングラス、服務
規則違反のフィリピン軍帽がトレードマークのマッカー

マッカーサー
サーは愛機「バターン号」からゆっくりとタラップを降
り、厚木の地に立ち、こう語った。“メルボルンから東京
までは長い道のりだった。長い長い、そして困難な道
だった。
しかしこれで万事終わったようだ。各地域における日本
軍の降伏は予定通り進捗し、外郭地区においても戦闘は
ほとんど終息し、日本軍は続々降伏している。
この地区(東京地区か)においては日本兵多数が武装を
解かれ、それぞれ復員をみた。日本側は非常に誠意を
以てことに当たっているようで、報復や不必要な流血
の惨を見ることなく無事完了するであろうことを期待
する”(朝日新聞東京本社版 1945年8月31日付より)
そのマッカーサーが座右の銘としていたのがサミュエル・
ウルマンの次の抒情詩であった。
青 春
青春とは人生の或る期間を言うのではなく

心の様相を言うのだ。 優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、
怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を
青春と言うのだ。年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時
に初めて老いがくる。歳月は皮膚のしわを増すが情熱を失う時に
精神はしぼむ。苦悶や、狐疑、不安、恐怖、失望、こう言うもの
こそ恰も長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥に帰せ
しめてしまう。
年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは
何か。曰く「驚異への愛慕心」空にひらめく星晨、その輝きにも
似たる事物や思想に対する欽迎(尊び敬うこと)、事に處する
剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と
興味。
人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる
人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる
希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる
大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、そして
偉力と霊感を受ける限り、人の若さは失われない。これらの
霊感が絶え、悲歎の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、
皮肉の厚氷(こうひょう)がこれを固くとざすに至ればこの時にこそ
人は全くに老いて神の憐れみを乞う他はなくなる。
原作 サミュエル・ウルマン 訳詞 岡田義夫
サミュエル・ウルマン(Samuel Ullman, 1840年4月13日– 1924年3月21日)は、
アメリカの実業家・詩人・人道主義者。彼の名は詩 “Youth”(日本では「青春」
あるいは「青春の詩」と訳される)でよく知られている。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
その4 雪掻きと経営戦略
急遽、店舗応援、雪掻き
昭和59年(1984年)1月4日、午前8時。もう37年前の古い話です。
Z社の経営戦略会議が開かれる時刻でした。同社は当時年商30億円程度の
中小規模のスーパーでした。参加者は部長2名、課長3名で時間前に会議室
で着席していました。そこへ社長が定刻に現れました。
“みんな、今朝の会議は延期です。これから皆さんは店舗に行って駐車場の
雪掻きをしてきてください。すっかりきれいにしたら、また本部に戻って
きなさい。

てっきり、会議かと思っていた私達はちょっと戸惑いました。しかし直ぐ
身支度を整え、いくつかの店舗に散らばりました。”
記録的大雪
その日は未明から雪でした。かなり降りました。当時の記録によると、
『昭和59年豪雪、東京で積雪22cm(1984年)1983年(昭和58
年)12月~1984年(昭和59年)3月にかけての大雪災害。日本海側でも
最深積雪が上越市高田(新潟県)で2m39cm、鳥取市で95cmに達したが、
このシーズンは南岸低気圧の影響で太平洋側でも大雪になったことが特徴で、
東京都心のこの冬シーズンの降雪日数は29日に達し、これは現在に至る
まで観測史上最多である。・・。』とあります。
10年後の目標を実現
他のスーパー同様に、店を複数店経営するZ社は、広い駐車場を備えていま

した。駐車場には雪が溜まり、営業できない状態でした。店の労力にも限界が
ある上、毎日の業務で手一杯の店舗の人達では雪が掻き切れません。各店に
散った部長たちはスコップで雪を掻きました。広いので中々捗りません。
お昼近くに、ようやくアスファルトの駐車場となりました。部長たちは遅い
人でも午後2時には本部に戻りました。
午後3時から経営戦略会議をしました。経営セミナーなどに積極的に参加していた
同社は、上記年商の当時から1,000億円企業になることを目指していました。
その時から10年後、1,000億円企業となりました。この時からしばらく後のこと
ですが,私は『鳥の目・虫の目*1』を学びました。
*1 鳥の目・虫の目
鳥の目』とは、大所高所から広い視野でもって物事全体を見つめていくことで、
実習場においては、常に全体をよく見て、把握する必要があります。 また、
『虫の目』とは、足元を見つめ直すという意味です。
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